言語化と「わかる」の関係――ストーリーで不安を整理する力

こんにちは、おっちゃんです。

先ほどChatGPTと1時間ぐらいしゃべって、言語化とは何か?わかるとはどういうことか?人はなぜストーリー仕立てにすることを好むのか?みたいな話をしていました。

結構いい感じの会話ができたので、そのチャットで話した内容をChatGPTにまとめてもらいました。

では、お暇な方は読んでいってください。

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言語化とはなにか?

言語化とは、自分の感じていることや考えていることを言葉にして「切り取る」作業です。
世界や自分の内面は非常に複雑で、多くの要素が絡み合っていますが、言葉を使うことでその一部分をはさみで切り取るように区切り、整理します。

言葉にすることで、自分自身も何を考えているのかが見えやすくなり、また他者にも伝わりやすくなります。
しかし、その過程で切り取れなかった部分や、言葉にできない細かなニュアンスはどうしてもこぼれ落ちてしまいます。

だから言語化は完全ではなく、一種の「縮小版」の世界をつくる技術とも言えます。

言語化は単なる「切り取り」だけでなく、その切り取った言葉を通じて他者と「つながる」ための道具でもあります。
私たちは言葉を通じて自分の世界を共有し、相手の世界と結びつけることができます。

言葉は「ハサミ」でありながら「糸」のように、人と人をつなぐ役割も持っているのです。

言語化とわかるの関係について

さて、「わかる」とは何でしょうか?

これは、新しい情報や出来事が自分の中にある価値観や経験としっくり合う感覚のことです。

つまり、言語化された言葉や説明が、自分の中の世界と自然にかみ合い、心に落ち着く状態です。

たとえば、「他人に優しくすると、自分も気持ちが穏やかになる」という言葉を聞いたとき。
自分にも同じような経験――誰かに親切にした後、心があたたかくなった記憶――があれば、「ああ、わかる」と自然に感じられるでしょう。

このように、自分の中にある体験や価値観にフィットしたとき、「わかる」という感覚が生まれます。

ここからは、「ストーリーを通じてわかろうとする」場合を見てみましょう。
これは、まだ自分の価値観や経験と直接かみ合っていない出来事に対して、人がどのように“わかる”をつくろうとするか、という例です。

たとえば、もし突然予期しない出来事に遭遇したとします。
急に学校のテストで悪い点を取ったり、友達と喧嘩してしまったりしたとき、「なぜそうなったのか」「どうして自分だけがこんな目に遭うのか」と、理由がわからず混乱することがあります。

この「わからない」状態はとても不安でストレスになります。

そんな時、人は自分の中で「ストーリー」を作り上げようとします。
たとえば、「テストの点が悪かったのは、きのう夜ふかししてしまったせいだ」「友達と喧嘩したのは、最近イライラしてたから、つい言いすぎたんだ」といったように、自分にとって納得できる原因と結果の関係をつくり出すのです。

こうしたストーリーには、自分の価値観や経験に合った因果関係があてはめられています。
もちろん、そのストーリーが事実として正しいとは限りません。

ときには、自分が納得するためだけに、少しこじつけのような理由を“でっち上げる”こともあります。

でも、それでも「こういうことだったんだ」と思えることで、心のモヤモヤが少し晴れ、落ち着きを取り戻すことができます。

このように、言語化によって切り取られた情報が、自分の中の世界や価値観とつながり、意味を持つとき、「わかる」という感覚が生まれるのです。

ストーリーをつくることも、わからないことを「わかる」に変えるための、ひとつの言語化のかたちだと言えるでしょう。

おわり。

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