生涯のパートナー論2

life

よし今回も重たい筆を持ち上げて、毎度やってくるこのもやもや感を言語化してみようと思う。

先日、今年で3回目の結婚式に参加してきた。

今年で僕も30歳。同級生も30歳ということで結婚ラッシュが訪れているというわけ。

今回結婚した同級生はホントに絵にかいたような幸せそうなカップルで、こんなに幸せそうな人たちを間近で見るのは胸がキュンとしてしまう。

おめでたい。一生幸せでいてほしいと切に願う。

そして結婚式が終わり、帰りの電車の中で幸せな気分と同時に毎度のもやもや感に襲われたのである。

「こんな幸せそうな人たちに比べて自分は…」

というやつである。

いやー、「人と比べるな」とあれほど自己啓発本で読んだはずなのにおかしいな。

でも身近な人なんだから比べちゃうのはしょうがない。

いかにしてこのある種ネガティブな感情をいい方向へ昇華しようか。

やはり、このもやもやの根源を言語化して客観視するほかないだろうよ。

前も別の友人が結婚したときにちょっと書いたのだが、「自分は一生のパートナーを見つけられるのか」という問題意識がある。

パートナーがいるということ。幸せについて。
こんにちは、grandstreamです。 先日、友人の結婚式に出席しました。パートナーとの幸せそうな様子を見て、僕も幸せをおすそ分けしてもらったような気分です。 幸せのあり方についてとりとめのない思いを書きたくなったので、暇に任せて書いてみ...

そもそも必要なのか、から考えてみよう。

というのも、別の友人で、恋愛とは無縁だがとても充実した人生を送っている人物がいるからである。

彼はほぼ恋愛経験はなく、でも趣味のゲームや麻雀、吹奏楽に明け暮れ、とても楽しそうにしている。

ああ、これも一つのロールモデルだよなと思う。

一人だって、何のことはない。一人で楽しめる趣味があれば人生は充実する。

さらに、恋人でなくても、社会人サークルの友人や、その他遊び仲間と一緒にいればそんなに寂しくもないのであろう。

これはこれで一つの正解である。

かく言う僕も、実際のところ一人でも楽しめている。

趣味の旅行、楽器演奏、動画観賞、英会話etc.

何が一体不満なのであろう?いや別に不満というわけではない。十分楽しい毎日を送っている。

一方で、結婚式を間近で見ていると、ああ、こういう相方がいることも別の形の幸せなのだなあと実感させられる。

家に帰ればいつもそこに相方がいて、なんだか安心する。ホッとする。

別の友人はこのあふれ出る幸せを「オキシトシン」と言った。

確かに僕もかつて恋人がいたとき、この何とも言えない安心感を経験したことがある。

何かわかんないけど安心するのだ。

それだけではない。

人間生きていれば、仕事などでちょっと落ち込んだり、進路に悩んだりすることもある。

そういうときにすぐさま話を聞いてくれる人がいるというのは本当に心強い。

僕は最初に勤めていた会社が本当にストレスフルだった。ほぼ毎日、身もだえするような、体が「exhausted」する感覚を味わっていた。

そんな疲労感を癒してくれるのが、恋人との週一の電話だった。彼女も同じ会社に勤めていたので、これ以上ないくらい話が通じた。

それゆえ、一週間で自分の身に起こった不遇な出来事をこれでもかとぶちまけた。

彼女はすべて受け止めてくれた。

もちろん逆もしかりであった。

こういったことを考えると、恋人という、すぐ近くにいて気軽にいろんなことを相談できる人がいるのは本当に心強い。

一人で乗り越えられない困難も、きっと相方のサポートがあれば乗り越えられるのだろう。

さて、ではお前も恋人を作ればよいではないか。という声が聞こえてくる。

もちろん、その努力は怠らないようにするつもりだ。

しかしここで僕が常々気がかりなことは、前述の通り、その恋人が一生のパートナーたりうるかということである。

先ほど僕が述べた彼女との関係は、約二年半で幕を閉じることになる。

価値観が合わなくなったのに加え、「なぜか」好きではなくなってしまっていたからだ。

なぜ好きではなくなってしまったのだろう。

ここが今回の核心部分かもしれない。

僕は、そして人は、一人の人を愛し続けることなどできるのだろうか?ということである。

生物学的観点からみれば、男性はなるだけ子孫を残そうとして、多くの女性と関係を持ちたいと思う。

だから、風俗に行きたがるし、AVを観て架空の不倫をしてみたりする。

そういう意味では、一途に一人だけなんてことは、生物学的論理に反している。

一方で、一生続く関係というのがあることも事実である。

僕が以前の記事でも書いたように、「友達」のような間柄である。

つまり、同じような価値観やバックグラウンドを持ち、同じ趣味に興じられるような仲間である。

そういった人とは、緩くも、強く長い関係を保つことができる。

なぜか。

やはり、共通点が多ければ、それだけ話題の種も増えるということが大きいように思われる。

もう一つは、近すぎない距離感なのであろう。

だからこそ、僕個人の例でいえば、親友とは年に数回ぐらいzoomや対面で駄弁ったりして、楽しい時を過ごせる。

これは一生涯にわたって続く関係のように思えてならない。

だから、結局いつも答えは同じなのだが、恋愛的パートナーを見つけるのではなく、友人的パートナーを見つけるのがいいということになる。

友人的とは言いつつも、友人どまりでは、一緒に暮らしたり家庭を持ったりということに発展しないだろうから、やはり恋愛的要素は必要である。

この微妙な塩梅のパートナーを見つけられるかどうかが、重要なのであろう。

客観的に見て激ムズのような気がしないでもないが、見つけられている人はいるのだから、僕もあきらめず、でも根を詰めずにぼちぼちやっていきたいと思う。

もちろんこういったことは当然向き不向きもある。

例えば、人によっては、いつまでたっても恋愛感情が冷めない場合もありうるし、僕なんかみたいにけっこうあっさり恋愛的情熱が冷めてしまうタイプもいる。

この辺はもうしょうがないのだろうか…

そういう人にとっては、お互い、サバサバしている同士が心地よいのだろう。

とにもかくにも、机上の空論をまくしたててもしょうがないのである。

人と人の関係は論理だけでは説明がつかないこともあろう。

ここまでいろいろと述べてきて、僕のやるべきことの輪郭が少しはっきりしてきた。

とにかく、実践あるのみである。

そのうえで生涯のパートナーに出会えなくてもそれはそれでよし。

こんなこと書いてだんだん恥ずかしくなってきたのでこの辺で切り上げよう。

では。

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